ムーブメントに詰め込まれた溢れるロマン

こんにちは、今日も元気にメンテナンスしていこう。
今回はアンティーク時計の魅力について書いていく。
アンティーク時計の魅力はなんといってもその美しいムーブメントとその中に詰められたロマンだ。
時計そのものが高級品であった時代、時計は宝飾品で富の象徴であった。
同時にその時計の正確さは、技術力の証明でもあった。
各地で贅と技術を集結して、時計作りが行われていた時代があった。
そんな時代に生み出された時計は、現代のものとは一線を画す。
1900年代技術の進歩は高性能の時計を安く大量に生産することを可能にした。
結果として時計は、大富豪でなくとも誰にでも手にできるものとなった。
同時に、必要以上に豪華な装飾や非合理的な構造は無駄として切り捨てられてきた。
1960年代ともなるとその傾向はかなり顕著となる。
その後のクォーツ時計の普及が時計の精度課題を一掃した。
さらにコンピューターの普及と進化がコスト極限までを削ることを可能とした。
そんな核時代の熱い思いやストーリーを感じながら時を共にすることができる。
そんな他にはない喜びを感じることができるロマンチックなツールがアンティーク時計である。
おすすめとしては、量産対応が明確になった1900年代以降からクォーツショックの1960年代までの時計だ。
なぜなら、最低限量産品であることで品質と価格のコストパフォーマンスが良いからだ。
古いとはいえ、完全オーダーメイドの時計は、いまだ一般市民が趣味で購入するにはハードルが高い。
そうかといって、クォーツショック後の機械式時計は情熱を欠くといった部分を否定できない。
最も機械式時計が成熟した時期が1900年~1970年頃といったところだ。
時計としての機能に期待しない

そんな熱い思いをまとったアンティーク時計であるが間違えてはいけない点がある。
それは美しいムーブメントと溢れ出るロマンを除き、時計としての存在価値はほぼないという事実である。
根本的なことであるが、より正確な時刻を知るということが、時計の基本機能である。
時計に求められる基本機能は下記である。
- 正確な時刻を知れること
- 時刻が確認しやすいこと
- 可能な限り長く稼働すること
上記の時計の基本機能という点に限ってみれば、アンティーク時計の存在理由はない。
特に正確な時刻と長い稼働時間においてクォーツ時計が存在する現代では比較にすらならない。
古いがゆえに部品の摩耗であるとか、工作精度が悪いとかの要因も確かにある。
しかし、摩耗がない新品で、理想的な工作精度の部品で作ったとしても結果は変わらない。
そのくらい、覆せないほどの圧倒的な差があるのだ。
デザインの洗練とその自由度も広がっているため、視認性も多くの場合現代のものが勝っている。
具体的に例を挙げると精度が重要だと思う人は電波時計などが選択できる。
耐衝撃性、防水性などの堅牢制が重要だと思う人はG-SHOCKなどが選択できる。
止まらないことが重要だと思う人はソーラーバッテリー時計が選択できる。
とにかく多機能な時計が重要だと思う人はアップルウォッチが選択できる。
極論すれば、携帯電話があれば時計はいらないだろう。
上記を理解したうえで、なおもアンティーク時計が人の心を揺さぶるのは、その情熱とロマンに他ならない。
「今何時?」「だいたい10時くらい」このやり取りに電波時計は必要ない。
そんな人にアンティーク時計はぴったりである。
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広告腕時計は不要なのか

アンティーク時計に限らず現代では腕時計そのものが不要品となりつつある。
なぜならそこら中に時計があふれているからだ。
スマホにパソコン、学校、職場、駅、バス、電車、銭湯でさえ時刻を知ることに苦労しない。
確かに懐から携帯電話を出して時間を確認するのはエレガントでないという説もある。
しかし、その動作は、最もエレガントとされる懐中時計の時刻確認動作と同様である。
むしろ戦争中の時間確認ツールに起源を持つ腕時計。
それを確認する動作の方が歴史的観点からは野蛮な動作である。
20世紀前半の腕時計のサイズは現代と比較すると驚くほど小さい。
それは、確かに邪魔にならないこと、0型の小型懐中時計ムーブメントを流用したこともある。
しかしながら、エレガントではない無精を隠したいという心理からではないかと推察する。
そんな21世紀にわざわざアンティーク時計を選ぶ方は、とてもロマンチックで魅力的な感性の持ち主であるといえる。
時計は工芸品から工業製品へ

アンティークな時計と現代の時計を比較すると明確に異なる部分が多く存在する。
現代の時計は宝飾品や工芸品という側面よりも工業製品としての側面が強くなっている。
それは、懐中時計から腕時計に時計の主流が変化した1900年代ごろから加速している。
確かに技術の進歩している現代において、当時と同様のものを作ることは可能である。
しかし、時代背景や生産技術、需要、流通など多くの要因により、1960年代以前の仕様で時計を製作することは難しいのが現実である。
わずかな人が多くの資金を投資して個人時計師に特注する形になる。
昔から基本的に時計は時刻を知るためのものである。
そして機械式時計であれば歯車とバネという極めて単純な構成部品の集合体である。
そして、部品点数もそれほど多くはなく基本構造も変わっていない。
つまりは、十分な工作精度の技術が確立していた20世紀以降に限って言えば、時計とは本来それほど高級品である必要がないのだ。
アンティーク時計は、ゼンマイを巻かなくてはいけなかったり、オーバーホールが必要だったりする。
正直いって面倒くさいのだ。
そんなめんどくささや非効率にも喜びを見いだせる人は、ぜひとも使ってみよう。
歴史的なストーリーと思いを纏う

機械式時計は長きにわたり、精度の追求や追加機能を加えることで技術競争のシンボルとして使われた。
また、高級材料を使用し磨き込むことで宝飾品として使われた。
さらには所有者のステイタスシンボルとして、当時の技術と資金が注ぎ込まれていた。
現代で例えると車のようなポジションであったと思う。
結果として21世紀では見ることが難しいような美しく工夫を凝らしたムーブメントがアンティーク時計には多く見ることができる。
なかでもオススメは鉄道全盛期1900年代以降のアメリカの懐中時計と1950年代以降のセイコー。
コストパフォーマンスと実用性のバランスが優れている。
私を含めたアンティーク時計の入門者としては手が出しやすいカテゴリーである。
興味のある方はこのあたりから試してみると良い。
きっと素敵な世界を見せてくれるツールとなる。
今後もメンテナンスや時計の情報について書いていく。
今回はここまで、それではまた。
まとめ

- 魅力的な美しいムーブメント。
- 歴史とストーリが詰め込まれたロマン。
- 小さなことを気にしない大きな器を表現できる。