なぜ機械式時計の世界はこんなにも閉鎖的なのだ
- ブランド名:セイコー(亀戸精工舎)
- モデル名:クロノス
- ムーブメント型式:54A
- 振動数:18000回/h(5振動、2.5Hz)
- 使用石数:17石
- 発売年:1958年
- ケース:ステンレスケース
- ラグ幅:17mm
こんにちは、今日も元気にメンテナンスしていこう。
機械式時計のメンテナンス記念すべき1台目はセイコーのクロノスである。
前置きとして、時計の世界は、車やバイク、PCの世界に比べてやたらと閉鎖的なイメージがある。
私はこの状況をあまり好ましい状態であるとは思わない。
時計はDIYでの分解、整備が一般的ではないのか、情報も部品も極端に限られているように感じている。
一部では、時計師以外の時計の分解はタブー視さえされているようにも感じる。
時計の世界は、マニファクチュールをよしとするアウトソーシングを嫌う傾向があったりする。
また、時計師以外は時計を開けてはならないと考えている人もいるようで、なかなか繊細な世界である。
設計情報のみならず、メンテナンス情報や部品の流通までも厳重管理されているようにも感じる。
取引契約をしていない一般人が時計部品を手に入れることはとても困難である。
マニファクチュールという形態をとることで、1社で供給をコントロールできる状態にある。
独占禁止法ギリギリではないかと思うほどだ。
事実、部品供給をかなり厳しく管理しているロレックスの価格は一部で高額なプレミアがついている。
そして、アメリカではその姿勢が独占禁止法の裁判で不利な結果となったようだ。
一定の需要に対して、供給を絞れば極端に価格が上昇することは自明である。
さすがに個人の時計師により特別に設計、製作されたものは、メンテナンスを含め時計師に任せるべきである。
およそ1点ものであり、構造もユニークで、替えがきかず価格もそれなりであろうからだ。
しかし、工業製品である量産機は、事情が異なる。
多くの人が組み立てできるように設計されていると考える方が自然であるし、そうであるべきだ。
そんな情報の限られた世界であるので、ここではメンテナンスを通しリバースエンジニアリングして得た情報を可能な限り記録しておく。
ただし、私はいちエンジニアではあるが、中の人ではないので情報が必ずしも正しいとは限らない。
実際に作業する場合は、自己責任で実施すること。
また、分解した痕跡は消すことができないので、時計師が見れば一目瞭然である。
時計屋さんでは面倒を見てもらえないことも覚悟すること。
アンティーク品のリスクとして製造から50年も経ていれば、素人か腕の悪い時計師が分解している可能性がある。
分解回数は軽く見積もって5~10回以上だ。
一方でそのように多くの人の手を経てきたからこそ、現存できているというのも事実である。
そうはいうものの、実際には時計の部品は驚くほど小さく、一朝一夕に取り扱いができる状態にはならない。
基本的には時計は時計屋さんで購入し、その時計屋さんで末長く面倒を見てもらおう。
機械式時計の分解前に状態確認する
初回のため、前置きが長くなったが、メンテナンスに進もう。
実際に作業するにあたって最初のうちは、すべての部品が小さく、思うように作業することは難しいと思う。
しかし、人間慣れるもので徐々に細かい作業が可能になっていく。
ピンセット、キズミ、ドライバーなどの工具を揃えることで、作業が可能になる。
今回は、亀戸精工舎を代表するモデル、クロノスのメンテナンス(分解、清掃、組立)をしてみる。
とてもシンプルな3針の時計だ。
本品は不動品とのことで、秒針の稼働は確認できない。
今回も各部をチェックしながら進める。
風防のキズ、文字盤の汚れなど半世紀以上の歴史、アンティーク感たっぷりだ。
細く繊細なバトン針もいい感じだ。
スナップバック式の時計で、その刻印から14型サイズステンレスケースであることがわかる。
本機はステンレスケースのため、ケースについているのはサビではないだろう。
汗と埃と汚れが長年たまったものだ。
今回はここもきれいにしていく。
まずはゆっくりとリューズを巻いてみるが、リューズは動かない。
ゼンマイが巻き上がっているため、時計回りには回転しないのだ。
当然、ゼンマイ巻きあがり状態で、秒針の稼働は確認できない。
このことから、リューズと巻芯とゼンマイとは生きているようだ。
続いてリューズを1段引き出し、時刻調整を確認する。
こちらも問題なく、時刻の調整ができた。
軽すぎる場合や重すぎる場合は、調整が必要になる可能性もある。
まずは、この辺の部品の破損や欠品はなさそうである。
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広告裏蓋を開放し、内部確認をする
これ以上外観を見ていても始まらないので、裏蓋を開けて内部を確認していく。
私の場合は、傷をつけないようデザインナイフで裏蓋を開けていく。
すると早速だが裏蓋に怪しい傷を発見した。
あまり腕の良くないもの者が裏蓋の解放を試みた痕跡が確認できる。
このような傷を見ると中身に不安がよぎる。
過去に何をされたかわからないからだ。
時計師によっては修理を受け付けてくれないかもしれない。
パキンという音ともに、ケースに所狭しと収まった17石の美しいムーブメントが現れる。
中身は軽い浸水の跡があるくらいで、大きな問題はなさそうだ。
本機クロノスは亀戸精工舎の代表モデルである。
諏訪精工舎の代表モデルであるクラウンと合わせて、セイコーの2大標準機である。
現在に至るまでのほぼすべてのモデルは、この2つのモデルなくしては存在しえないと言えるくらい重要な位置付けのモデルだ。
力強く無骨な印象のクラウンに対して、繊細な曲線を多用した色気あるデザインのムーブメントだ。
個人的にはクロノスの曲線デザインの方が好みである。
特に曲線を強調した2点留めのテンプ抑えプレート(ダブルブリッジ)にグッとくる。
この後のモデルは23石まで多石化されていく、特別な思い入れがなければ21石を手に入れることをお勧めする。
17石と比べるとやや完成度があがっているイメージだ。
23石はほぼクラウンスペシャルやロードマーベルレベルに近い存在となり、入手もやや難しくなる。
文字盤側のケースベゼルを取り外す
キズミと呼ばれる拡大鏡で、ベゼルとケースを隙間を確認する。
裏蓋と同じく、正しく組み立てられていれば、9時の方向にわずかな隙間が確認できる。
この隙間が別の位置に組み立てられている場合は、認識の甘いものが組み立てたか、意図的に組み立てたかのどちらかである。
隙間を下側にするとこの隙間が目立たなくなるのと文字盤の方向に合うので、下側でも大きな問題はない。
しかしベルトの付け根が邪魔になり、開放が難しくなる。
裏蓋と同じように隙間から慎重にデザインナイフを入れて、ベゼルをケースから浮かせていく。
言うまでもないが怪我に注意すること。
パキンという音とともにベゼルとプラスチック風防が取り外しできる。
風防が外れた状態であるので、針と文字盤がむき出しになる。
針はとても繊細なので、変形させないよう注意すること。
あらかじめ時針と分針と秒針を揃えておくと取り外しの際やりやすくなる。
時計の針を取り外す
軸に圧入された針をとりはずすためには、剣抜きと呼ばれる専用工具が必要になる。
マイナスドライバーでも代用できるが安いものもあるので、バラすのであれば一つ準備しよう。
文字盤のキズ防止のため、薄いビニールをひいて剣抜きを用いて針を引き抜く。
ここでうまく抜けなくても焦る必要なない。
文字盤と針の付け根に隙間がなく、剣抜きが入らない場合がある。
その時は、マイナスドライバーなどで隙間を作り針を外す。
文字盤側の針が外れた状態。
いつも思うのだが、文字盤に針が擦れたような跡があるものが多いが、こんなことが起こるのだろうか。
正しく組付けられていれば根本以外に擦り傷などつきようがない。
たとえ時計師といえどもその技能には驚くほどの差があるようだ。
いい時計師に巡り合えることを祈るだけである。
ゼンマイにためられた動力を開放する
時計内に蓄積されているエネルギーを解放する。
リューズを手で押さえながら、角穴車の回転を制御している金具(コハゼ)を開け抑える。
角穴車が回転しながらゼンマイが解放されていく。
本操作は確実に行う必要がある。
ゼンマイを解放せずに分解したり、リューズを手で押さえないでゼンマイを解放してはならない。
一気に解放されたエネルギーの衝撃で歯車などに負荷が集中し、最悪は部品が破損する。
リューズと巻き真を引き抜く
ゼンマイを解放したら、オシドリという部品を操作しリューズをケースから引き抜く。
本機の場合はネジ式であるので、少しづつ緩めながらリューズを引き抜く。
この時緩めすぎると反対側にある押さえが外れてしまうので注意。
比較的新しいものはボタン式となっているので、ボタン式の場合はオシドリを押しながらリューズを引き抜く。
ケースからムーブメントを取り外す
リューズが無事抜けたらムーブメントをケースに固定しているネジを上下2か所を外す。
ネジを外すと文字盤側にムーブメントが抜ける。
ムーブメントが抜けたらリューズを差し込み直し、ネジ式の場合はオシドリを締めておく。
文字盤を取り外す
ムーブメント側面あたりに文字盤を固定しているネジが2か所あるので緩める。
時計によっては3か所ものものもある。
緩めたら文字盤をムーブメントからゆっくりと引き抜く
文字盤がムーブメントから外れた。残念なことに文字盤を固定している足が1本破損していた。
まあ、半世紀も経てばこんなものもあるが、通常使用ではありえない状態である。
何かしらの事件の後である可能性もある。
文字盤と針が干渉していたのはこれのせいかもしれない。
正しく分解組み立てが行われたかった可能性が高い。
まあ、気にせずに分解を続けていく。
アンティーク時計の心構えは「小さなことは気にしない」である。
ムーブメントの固定には固定台を使用すると作業しやすい。
これも安いものがあるので、一つ揃えておくとよい
ここまでで大まかな部品は分解できた。
時針を回す歯車を引き抜く
いよいよムーブメントを分解していく。
まずは文字盤側にある時針を回す歯車を外す。
特に固定されているわけではないので難なく外れるが、上に乗っている薄い銅板と合わせて不意の脱落、紛失に注意すること。
分針を回す歯車を引き抜く
続いて分針を回している歯車(ツツカナ)を外す。
その下にある2番車にはめ込まれているので、工具を使って外す。
ツツカナと2番車とは摩擦によってつながっているので、適度な摩擦が必要である。
組み付ける時にここにオイルを塗布したり、長期の使用でツツカナが磨耗し緩んでいるとうまく動かない。
ここの摩擦が小さくなり衝撃で分針がずれる現象が発生するため、注意すること。
必要に応じて脱脂やカシメで調整すること。
分針を回している歯車(ツツカナ)まで外れた状態。
中心には2番車の軸が飛び出しているので外した後に曲げないよう注意すること。
角穴車を取り外す
裏蓋側の分解に移る。もっとも大きい歯車である角穴車を外していく。
ここでゼンマイが解放されていないと、ゼンマイが弾け内部歯車に損傷を与える可能性がある。
確実にゼンマイを解放して実施すること。
留めネジは普通に反時計回りで外すことができる。
マイナスドライバーがネジの溝に入らない場合はダイヤモンドヤスリで先端を磨きこんでから使用する。
ネジを外すと角穴車の名前の由来が時間できる。中心の穴が四角である。
蛇足であるが、高級機ともなると角穴車に磨きや彫り込みなどの装飾が確認できるようになる。
面積が大きい割に繊細な役割がないため、時計の広告スペースに使え、デザイン的な遊びの部分である。
角穴車はアンティークムーブメントの見どころの一つである。
本機は非常に品質の良いムーブメントであるが、工業製品の側面が強いため、角穴車への過剰な装飾は省かれている。
しかしながら、最小限の表面処理は施されており、美しく輝いている。
現代の普及機ではヘアライン加工すらも省かれている。
動力部プレートの分解
動力部分のプレートを外していく。本機はネジ3つで固定されている。
私は気にならないが、気になる方は角穴車上にある歯車を外しておく。
往々にして逆ネジになっている場合があるので注意すること。
動力軸のあたりの黒いものはグリスである。
豪快な角穴車下に、なぜか非常に繊細なバネが入っている。
これが角穴車の回転を止め、トルクを時計全体に伝える重要な役割を果たしている。
このようなバネが各所に隠れていて、不意に飛ばすとほとんどの場合は紛失し、時計の動作が不可になる。
アンティーク時計の弱点の一つは、基本的に部品が手に入らないことである。
ネジを外したら、プレート下側に隙間がある。
マイナスドライバーでプレートを軽く浮かせた後、ピンセットなどで取り外す。
ネジの外し残りがあるとプレートを変形させてしまうので注意すること。
1番車(香箱)の取り外し
プレートを外すと香箱(動力車、一番車)が現れる。
この中にゼンマイが収められている。
香箱内のゼンマイは初期トルクがかかっている。
何かのはずみに弾けるとゼンマイが飛び出し、最悪は失明の可能性もあるので、ピンセットなどで慎重に外す。
ゼンマイ切れの症状がある場合は、この中身を分解して、ゼンマイを交換する。
手前にある歯車の破損が懸念される場合は、次の手順で他の歯車と同時に外しても良い。
この時にリューズと巻芯を戻していないと、その先端にある2つの歯車が固定されないため不意に外れる。
分解が必要な人はここで外しておく。
今回は特に動作に問題ないので外すことはしない。
ここでは、プロではない人が最低限のメンテナンスをすることを目的としている。
そのため、フルオーバーホールとは違い分解、洗浄しなくても影響の少ない部分を除外している。
これは、各部品の影響度を考慮して、優先順位の高いものを分解洗浄している。
細かい説明は別途紹介しているので、気が向いたときにでも見ていただければ幸いである。
輪列を固定するプレートを分解する
輪列を固定しているプレートを外していく。
本機はネジ2つで固定されている。
テンプを含め残りの車は、今まで外してきた歯車よりずっと繊細になっていくので、軸の破損などに注意しながら分解していく。
基本的に回転数の大きい車ほど駆動トルクが小さく繊細な部品となっていく。
1番車(香箱)→2番車(分針)→3番車→4番車(秒針)→ガンギ車、アンクル(脱進機)、テンプ(振り子)といった具合だ。
このプレートも左上のネジのあたりに隙間があるので、マイナスドライバーなどで浮かせてから取り外す。
自信のある方は3つあるルビーの一つがネジ止めになっているので、外すと組み付ける時にガンギ車の位置が決まりやすい。
4番車と3番車、ガンギ車を取り外す
綺麗な金色の歯車が見えてきた。
いつも思うがこれだけのものをケースにしまっておくだけなんて勿体無い。
実際上は、見た目もさることながら、衝撃を吸収する、摩擦を低減する、加工性を考慮するなどの設計意図がありそうだ。
本品はおそらく真鍮製であると推測するが、高級機になると14Kを使用しているものもある。
4番車を外す、特に問題なく外れるが、軸が長いため不意の曲げ、折れに注意すること。
3番車を外す。これも問題なく外れるはずだ。
2番車を抑えているプレートをネジ2か所を緩め取り外す。
こちらもモデルによっては1つネジのものもある。
ネジが外れたらマイナスドライバーなどでプレートを浮かせてから取り外す。
4番車が現れるが、まだテンプとアンクルがあるため外れない。
部品の破損が心配な場合はテンプとアンクルを外した後に作業しても良い。
ガンギ車は外すことができる。
ここで、見たこともない歯車が姿を表す。ガンギ車だ。
これだけのサイズでこれだけの形状を高精度で製作する技術は驚きである。
1個2個を削り出すことはそう難しくないが、セイコーほどの量産体制でこれだけの品質を確保することは簡単に真似できるものではない。
テンプを取り外す
いよいよ心臓部であるテンプを外していく。
本機はダブルブリッジであるのでテンプの抑えプレートはネジ2本で止まっている。
特にシングルブリッジよりも優れているということはないが、固定という意味では安心感がある。
機械式時計の中でもっとも繊細な部分なので、慎重に作業する。
まずは上下に隙間があるのでプレートをマイナスドライバーなどで浮かせる。
外したテンプASSY。ここを普通に弄れるようになれば時計師になれる。
最近は1級時計師の試験からもヒゲゼンマイの取り外し作業はなくなっているくらいだ。
私もこの先は滅多なことではいじらないようにしている。
特にグルグルしているバネをヒゲゼンマイといい、ここが時計の精度を司る重要部品の一つである。
ここのばね定数と振り子の重さで振動数が決まる。
あまりに繊細すぎて、機械式時計の本場スイスでも製造する時計メーカは限られている。
詳しくは別記事で書くこととする。
アンクルを取り外す
続いてアンクルを抑えているプレートを取り外す。
本機はネジ2本で固定されている。
お約束通り、ネジを外したらプレートを浮かせて取り外す。
アンクルと2番車が外れる状態になる。特に問題なく外れる。
アンクルの拡大図。なんと繊細な構造であろう。
先端に付いている2つの赤い爪はルビーである。
それを金属に挟み接着している。もはやどのように作られているか不明である。
時計師によってはこの爪の位置の押し出しを調整して、精度を調整する人もいるが、あまりオススメしない。
この爪先がガンギ車と衝突することにより、歯車の回転を止めている。
カチカチという独特の音はこのアンクルとガンギが衝突する音である。
1時間に18000回〜36000回程度。その衝撃を受ける軸の強度設計、寿命設計、磨耗試験など考えると気が遠くなる。
地盤プレートから綺麗さっぱり歯車が取り除かれた。
まだ残っている部品もあるが、基本的に操作系であり、動力は人間の手である。
そのため特に気にしない。固着していない限りは注油程度にしている。
メイン部品の分解完了
以上でメイン部品の分解が完了した。
この後、部品を超音波洗浄機などで洗浄、組立は分解の逆の手順で行える。
これ以上細かい部分について、分解は可能であるが、プロでもない限りは特に必要性はない。
通常の使用であれば、駆動トルクの小さい3番車以降を丁寧に分解、洗浄していけば、時計の動作に問題はない。
このように、分解しなければ機械式時計のモノとしての価値を理解することは難しい。
そんな私もなぜかっこいい電波時計が数千円〜数万円で買える時代に機械式時計に何十万円と支払う人がいるのか疑問に思っていた。
今ではこれだけの時計であれば10〜20万円程度は当然の構造と仕上げであると感じることができる。
車とは違い、時計の世界で全部品の製造、組立を自社で行うマニファクチュールが特別視される理由も実感できる。
加えて、セイコーの量産数量は他を圧倒する。これだけの時計メーカは世界中探しても他にない。
- ロレックスの機械式時計はリーズナブルな価格。
- セイコーの機械式時計は日本人であることを感謝できる価格