今だからこそ懐中時計がかっこいい
あなたはどのようにして時間を確認しているだろうか。
まあ、大抵はスマートフォンや携帯電話に時間が表示されているので、それを見るだろう。もう何年も続けている動作であるので苦でもないだろう。
それにちょっと顔を上げれば壁には時計がついている。パソコンやテレビを見ている時ですら、わずかに視線をずらすだけで、そこに時計が表示されている。
そう、身の回りには時計が溢れ、自ら腕時計を身に着ける必要すらない状態だ。そんな今だからこそ、あえて懐中時計を使いたい。
忙しく、せわしないこの時代、いつでも懐中時計を持とうとまでは言えない。しかし、気分転換したい時やゆったりとできる時に腕時計の代わりに持ち出してみてはどうかという提案だ。
腕時計をつけていない状態で、おもむろに懐に手を入れ、スマートフォンで時間を確認する、、、と見せかけて、懐中時計を取り出して時間を確認する。実にエレガントだ。
カフェでコーヒーを飲みながら、おもむろに懐に手を入れ、スマートフォンをいじるか、、、と見せかけて、懐中時計をカフェテーブルに置き、読書を始める。実にかっこいい。
時間に追われることのない贅沢でエレガントな時間を過ごすことができる。
懐中時計は不便なのか
正直なところ、便利ではないと言える。というよりも不便極まりない。
すべての時計の中では、腕時計が圧倒的に便利だ。いつでもそこにあり、わずかな動作で、時間を確認できる。
加えて慣れとは恐ろしいもので、実際には腕時計をしていても、思わずカバンや懐にあるスマートフォンにわざわざ手が伸びてしまうほどである。
いまや時刻とは、スマートフォンをいじるついでに流し見すれば十分なものでしかないのだ。
時間を確認するためだけに、懐にあるものを取り出すなどということはしないのだ。それこそ時間としては数秒だとしてもだ。
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広告懐中時計はエレガントで美しい
そんな不便な懐中時計の最大魅力はそのムーブメントだ。
懐中時計の中にあるあまりに美しいムーブメントは、見ているだけで時間を忘れるほどだ。機械式時計としてシンプルな作りに豪華な装飾。見所が多くある。
時計を見ながら時間を忘れるとは実に矛盾した行動である。
思わず、スマートフォンがなかった時代の懐中時計とは、暇なとき眺めるためのものなんじゃないかと疑うくらいだ。
そして、懐中時計は持ち歩く時計の中で最もエレガントだ。紳士の嗜みやこだわりを感じさせ、同じ趣味の持ち主なら話の種にもなる。
磨きこまれた角穴車、装飾的に削り込まれたプレート、ねじ止めされたシャトンとルビー、美しいゴールドトレイン、チラシテンプに墨入れとその造形は現代の工業製品では成しえないものである。
懐中時計は列車運行の必需品だった
エレガントなムーブメントを持つ一方で、クォーツ時計がまだ世に出回る前、腕時計が普及し始めた1900年代初頭において、懐中時計は列車運行の必須道具であった。
当時、高級品であるものの、仕事道具として鉄道員が購入できる程度のものにはなっていた。
アメリカでは多くのメーカが生産合理化による大量生産を行っていた。このころから時計は工芸品から工業製品へ少しずつ姿を変えていく。
「時計の誤差は列車事故の原因である」とされていたため、機械式時計といえども大きな誤差は許されなかった。レイルロードグレードという厳しい基準をクリアしたものを使う必要があった。
それは精度はもちろんのこと、耐久性や誤操作防止機能なども含めた仕様であった。現代で言うところの列車制御装置にあたるものなので、事故防止のため妥協できない性能が必要であった。
そんな、工業製品としての一面と鉄道員が買い求めることから、外装は金張りなどコストダウンを図ったものが多かったが、現代の仕様と比べれば比較にならないほど豪華な仕様だ。
このころにクォーツ時計があったなら、このような機械式懐中時計は存在していなかったはずだ。
懐中時計とはそんな、歴史とストーリーを感じることができる魅力ある時計だ。
そんな魅力的な懐中時計であるが、現代の日本では、需要がごく限られているため驚くほど安価で取引されている。
機械式時計がに興味があれば、ぜひ一つ手に入れてみよう。サブ使用であればそれほどメンテナンスも必要ないはずだ。
- とてもエレガント
- とにかくシンプルな時計と豪華な作り
- アメリカ鉄道時代を支えた列車制御装置