其の弐:礼に始まり礼に終わる

礼は柔道の基本であり奥義

こんにちは、本ブログは、柔道に興味のある〜初段取得程度までの方を対象に書いている。

柔道の理解と競技人口増加の一助となってくれれば幸いである。

第二回は「礼に始まり礼に終わる」である。

柔道の目的は「人間完成」である。

その中で「礼」とは柔道の基本であり、奥義であるともいえる。

言い換えれば、相手に感謝する。

さらには自らを支えてくれるすべてのものに感謝するということである。

柔道の精力善用、自他共栄を行動で表しているともいえる。

これを練習前後、試合前後、打ち込み前後、乱取り前後に行う。

毎日当たり前のように、誰にでも行う。息をするのと同じように行う。

個人的には、「完成された人間は常に感謝している」ということであると解釈している。

つまりは、「礼」や「感謝」は誰にでもできることであるが、それゆえに修めることは難しいものであるともいえる。

そんな私も気づくと「感謝と礼」を欠いていることが多々ある。

だからこそ「人間完成に向けて日々修行する」ことが柔道である。

同時に「未完成であるからこそ人間」である。

加納治五郎先生も生涯修行であるということを言っているのかもしれない。

まさに私にとって耳の痛い話である。

基本は座礼

前述したとおり、「礼」とは心の所作である。

しかし、体の表現もとても重要である。

もっと言ってしまえば、心のが行動に出ると思われるのが普通である。

そのため、まずは形から入るのが脱力系であるといえる。

柔道における「礼」の所作には座礼と立礼がある。

寝技の時には大抵、座礼を行い。

立ち技の時には大抵、立礼で行われる。

しかし、基本は座礼であることを知っておこう。

初動は左足から

これまた細かい話であるが、初動は常に左足なのだ。

立ち状態から座礼をするために正座するときの初動は、左足の膝をつくところから始める。

この時つま先は立てたままだ。

次に右足の膝をつき、腰をかかとに移動させながら、つま先を伸ばす。

これも細かいかもしれないが、方膝を立てた状態、つま先を立てた状態は戦闘態勢である。

正座もまだ警戒状態を解いているとは言えない。

足を崩し、あぐらをかいた状態で初めて警戒していない表現となる。

そのため、時代劇などでは殿様の前であぐらをかいているシーンが見られる。

また、立礼の後の自然体への移行も左足から前に出し、右足を出す。

これで、戦闘準備完了の合図である。

野球でいえば、バッターボックスに立った状態となる。

試合であれば審判より「はじめ」の合図がある。

戻る時は逆動作で右足から

正座の状態から立ち上がる時は、逆の動作で立ち上がる。

まずはつま先を立てる。その後右足を立ててから左足を立てながら立ち上がる。

自然体から立礼をする場合も、右足から一歩差がり、左足を下げてから立礼を行う。

これら各動作ごとに一瞬止めるようにすると美しい所作となる。

動作後は残心といって特に所作はないが、心は残すといった所作がある。

これは動作完了後、例えば、相手を投げて試合終了となった後なども油断しないという所作である。

こんな、所作の積み重ねが人間完成へとつながっていくと考えている。

まとめ

  • 礼は基本であり奥義、常に心に留めておく
  • 細かい所作を丁寧に行い、心を表現する
  • 残心という考え方を知っておく
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